ピーター・ドラッカーは経済学者として世界的に有名ですが、本人は自身のことを社会生態学者と呼んでいました。
彼は人間によってつくられた人間環境に興味を持ち、大半の人が組織というものに属して生きていくこの世界で、人間のつくる組織とそこに属する人々に対するアプローチ法を数多く提唱しました。
特に、1950年代に彼が執筆した「現代の経営」は、成果主義が中心となっていたアメリカ企業で反響を呼び、広く使われるようになりました。
そして、今回ご紹介するMBOとは、この「現代の経営」中で紹介された経営手法の一つです。
MBOとは、「Management by Objectives」の略です。「目標によって管理をしていく」という意味で、日本では主に、目標に対する達成度で社員を評価する評価制度として認識されています。
目標を管理することのメリットの前に、まずは目標を立てることのメリットから確認していきたいと思います。
目標を立てることのメリットは、目標を立てることでより早く成長することができるからです。
例えば、狙う的もないまま闇雲に矢を射たとしても、弓の技術はさほど上達しないでしょう。一方で、明確な的を決め、どうしたら矢が当たるかを考えて射るほうが、弓の技術は各段に上がります。なぜなら、的から外れてしまったときに、なぜ矢が外れたのかを振り返ることができるからです。
狙う的があれば、自分の放つ矢が右にずれてしまうことや、勢いが弱くてしっかりと刺さらないことが分かります。そして、その原因をさらに深ぼれば、弓を射る姿勢が悪いことや、腕の筋力が不足していることに気づけます。その原因を解消するために、鏡で自分のフォームを確認したり、筋力トレーニングを重ねれば、きっと的に当たるようになっていくでしょう。しかし、狙う的がなければこれらのことには気づけないのです。
このように、目標を明確にすることで、人は振り返りができるようになり、成長するためのヒントが得られるのです。
では、この目標を管理することによって得られるメリットとは、何でしょうか?
言い換えると、他人の目標を自分の好きなように設定することができたとしたら、何ができるでしょうか?
自分の好きなように誰かの目標を立てられるということは、自分の好きなように誰かに成長してもらえるということです。
例えば、自分がとある王国の護衛団で隊長を務めていたとします。王国を守るためには、優秀な兵士がたくさん必要です。弓に長けた兵士、槍に長けた兵士、暗殺に長けた兵士、爆弾づくりに長けた兵士など、欲しい戦力は山ほどあります。しかし、現状ではそのような優秀な兵士はおらず、一から育てなくてはいけません。
この時に、兵士の目標を自分で決めることができ、その兵士は自分が決めた目標に向かってひた走ってくれるとしたらどうでしょう?こんなにも心強いものはありませんね。なぜなら、自分が欲しい人材になるために兵士たちが必至にトレーニングを行い、自分が決めた目標を遂げるために必死に任務にあたってくれるのですから。優秀な弓兵も槍兵もそろいますし、危険人物の暗殺を目標に設定すれば国の危険を事前に対処することができます。
そう。このように、目標を管理することができれば、組織を理想的な人材で満たしたり、自分のやりたいことを自分の手を動かさずに達成させられるのです。これこそが、目標を管理することのメリットです。
この「目標を管理することのメリット」を最大限に活かすための仕組みこそが、MBOです。
ドラッカーが提唱するMBOは、元々は経営手法の1つだとお話ししましたが、日本では主に人事評価の手法として取り入れられています。その背景には、日本特有の雇用文化の変遷が大きく関わっており、ドラッカーの提唱したMBOと日本に根付いたMBOとでは、大きな違いがあります。
日本的経営という言葉に代表されるように、日本では「終身雇用」や「年功序列」などが人事評価の前提となっていた時代があります。評価の仕組みが『勤めた年数の長さ=社員を評価する基準』となっていた時代です。当時は、いわゆる『職能資格』といった制度が中心的で、その人が持っている能力や経験を基準に社員を評価していました。職人的な能力や経験は、長く勤めれば勤めるほど蓄積されるため、年功序列という考え方は多くの場面で上手くいっていました。
しかし、1980年代頃から日本の人事評価はアメリカの影響を受け初め、『成果主義』が広まるようになります。そういった中で、『そもそも成果とは何か』と多くの人が考えるようになりました。そして、その問いに対する答えとして、『成果とは立てた目標に対する達成度』だと多くの企業が考えたのです。そして、成果主義が日本に広まっていった当時、目標による管理の手法として『MBO』が注目されていました。「これは良い!社員の目標を管理すれば、理想的な組織が作れる上に、社員の評価も容易になるではないか!」とでも言わんばかりに、MBOを取り入れていきました。こうした時代の流れもあり、日本では「目標にもとづいて社員を管理する方法」としてMBOを人事評価に取り入れていったのです。
しかし、日本でMBOが大きく広まった際、日本企業はとても重要なものを見落としていました。それが本来のMBOの後につく一文字、『S』の存在です。
ドラッカーの提唱しているMBOという概念は、実は『MBO-S』(=Management by Objectives and Self-control)という言葉で表されています。日本語に訳すとすれば、『目標による管理と自己統制』です。
ここで言うセルフコントロールとは、自身の思考と行動を自ら管理することです。つまり、MBO-Sの本来の意味とは、「目標を個人がそれぞれに考え、セルフコントロール(セルフマネジメント)をしながら自主的に達成に向かうことによって、会社としてより良い状況を創ること」となります。
ドラッカーがMBOを「評価の手法」ではなく、「経営手法」として提唱した理由も、ここに大きく関係しています。MBOとは「社員を組織が思うままにコントロールするための方法」ではなく、「企業という一つの組織が、人の集まりとして上手くやっていくための方法」だったのです。
そう考えると、日本式のMBOは、『目標は誰が立てるものか』という観点で少しずれているのが分かります。目標とは、本来セルフコントロールの領分です。一人ひとりが目標を考え、そこに対してコミットし、コミットの結果を自分で振り返りながら達成に向かっていく。それが、MBOにおける目標のあるべき姿でした。
しかし、日本ではセルフコントロールの考え方が失われてしまい、目標を「会社が与え、管理していくもの」としてしまいました。それによって、組織に属す個人の自主性や主体性が失われていき、目標は『ノルマ』へと姿を変え、モチベーションの下がる社員や指示待ちの社員が増えていったのです。
「MBOが上手くいかない」「MBOが形骸化している」といった問題が起きている企業の多くは、本来のMBOが持つ『S』の存在が抜け落ちてしまっています。マネージャーは、与えた目標に向かうように部下たちを必死にコントロールしようとし、人間関係に様々な支障をきたすケースも多々見られます。本来のMBOが持つセルフコントロールの要素が抜け落ちていなければ、このようなことは起きません。社員が自ら考え、自ら望む目標を立てられていれば、自主性や主体性は自然と生まれるものであり、目標に向かって進んで努力し成長していくものなのです。
しかし、これに気が付かない限り、上司や会社はより強く社員を管理しようとします。その結果、さらに個々の自主性が失われるような仕組みを持つ組織になってしまうのです。
自分で目標を立てること、そしてその目標を自分で管理すること、これらが欠けてしまうと『言われたことをただやっていく』という仕組みに段々となっていき、自主自律的な人材が育たなくなるというサイクルになってしまいます。
なので、このMBO-Sという概念を正しく持ち、理解した上で評価に取り入れること、評価者の育成をしていくことが必要であり、またMBOという考え方の中で働いている人たち全員が、この考え方を持つことが非常に重要になります。
自分自身と会社が定めた目標に対して、自分はどうやってセルフコントロールをしながらそれに取り組んでいくのか、どのように自己管理していくのか、と考えていくことが大事であり、それが無くなると『目標=ノルマ』というような堅苦しく縛られた環境になってしまうのです。